amrskJPNのメモ帳[作詞作曲]

あおむらさき(amrskJPN)による作詞作曲と音楽に関するメモ帳です

褒める感性

エイプリルフールのamrskJPN(あおむらさき)です。
今回は「褒める感性」について思うところを書きます。

音づきあいは人づきあい
自作曲を広く聴いて欲しいのは皆同じだと思います。
そのためにチャンネル登録であったり通知であったり、
SNSであったりいろいろお知らせに奔走する。
(音と人がよい人ほどその労力は小さくて済む)

一方他人の曲にそんなに関心をもてない(一部の有益な
人に限定せざるを得ない)のも実情でしょう。
「有益な」を「大好きな」に替えても差しつかえない。
レベルの差から生まれるどうでもよさであったり、
音としての好き嫌いであったり、もしくはやりとりの上
での好き嫌いであったり。それは仕方がない。

その上で何かを伝えるなら(伝える必要があるなら)、
私は可能な限りその曲のよいところにGJ!と言いたい。
伝わるように言わないと伝わりません。そもそも
GJ!と思わないなら何も言う必要はないと思います。
(アドバイスが言えるならそれでもよいでしょう)
どんな曲にも完成させた人がそこにいるからです。
なんだかそういう「褒める感性」は「創る感性」と
同じくらい重要だと自戒を込めて(今さら)思います。

ずっと前からなのですが・・・・・・
心がどこにあるか?ということを考えざるを得ません。
それは私も同じです。無理に何も言う必要はない。
文字は伝わりにくいゆえに難しい。
私が言っても説得力がないのですが・・・・・・
申し合わせたようにほぼ同時に宣言する必要はない。
これだけは底辺なりに暴れたい点です。
すごく好きな曲なのでなんだかとてもしんどい。
「音も人も好かれる」って難しい。
リアルで底辺なら音づきあいでも底辺(言動の選択も
ソフィスティケートすることからはずれていく)です。

有益でない人(私)とはかかわらない方がよい。
どこでも同じです。
あまりブログではこういう自分の性格と頭の悪さを
記述したくなかったのですが、隠せるものではない。
「好かれる」って本当に重要です。
言動の解釈もまわりによってガラッと変わるからです。
好かれるためには有無を言わせないクオリティと、
洗練されたさじ加減のコミュニケーションを積み重ねて
心地よい空間を維持する必要があります。

「心地よい」文も曲も提供できない(文は「しようと
しない」)私はそりゃ好かれなくて当然です。
さじ加減は見たら分かるんですけどね。そこです。
私は有益ではありません。