amrskJPNのメモ帳

あおむらさき(amrskJPN)による作詞作曲と音楽に関するメモ帳です

クリスマスキャロルと文化

こんばんはamrskJPN(あおむらさき)です。
まったく曲ができないのでせめてクリスマスキャロルを
Coverしようといろいろ曲を聴いてみたのですが・・・
改めて「異文化」というか「自分にはないバックグラウンド」
(というか自分にあるバックグラウンドって何だろう)の
結晶のようなものだなあとしみじみ思いました。

音と宗教と文化
賛美歌・・・信じるもの・・・聖なるもの・・・
クリスマスとは何か・・・自分にとっては街行く恋人たちを
横目で見るためのキラキラ商業イベントでしかない。
そんな日を盛り上げるために流れるキャロルも日本では
(一般的には)厳かに響くものではない。
「クリスマス」という記号はわりと広く世界に普及して
ここ日本では「楽しい人たちには楽しい日」というきわめて
世俗的な(宗教的意味合いのうすい)実相に変換されている。
それが成立する寛容さも平和的でよいと思ったりします。
(逆に言えば日本の異文化の改変っぷりに驚かされます)
イスラームラマダーンおよび明けの祭りを世俗化して
日本で商業的に盛り上げる・・・なんて想像できません。
※厳格であることはそれはそれでよいのです(@@;;;)))ガクブル

文化に先立つ存在としての宗教は「ちょっと遠巻きに眺めて
ちょっとおいしいところを学んでちょっと楽しむ」もので
あるくらいが自分にとってはよい距離だと考えています。
キャロルに限らず音楽は多分に呪術的・儀式的・宗教的な
色合いを帯びているわけで・・・あらゆる文化圏において
音が鳴る意味は「心」にあり続けてきたことを思うと
いわゆる無宗教の俗人である私もせめて自分なりに
「心」を込めてキャロルを歌ってみることにしました。

「Deck the Halls」をCoverして
曲はDeck the Halls(ひいらぎかざろう)を選びました。
明るくてリズミカルなメロディラインがとっつきやすい。
伝統的なコーラスから軽妙洒脱なナット・キング・コール
子ども番組(?)のキッズグループが歌う今っぽいアレンジ
まで・・・1曲をとってもすごく奥が深いのです。
そしてなんといってもこの曲の難しさはくり返される
「Fa-la-la-la-la」という囃子ことばの発音!!!!
まず音が「ファララララ」というのが異文化だなあ・・・
ウェールズ民謡がルーツのクリスマスキャロルです。

私だけかもしれませんが未だにこの「la」はハードルが
高いのです。これぞ外国の子どもたち(テレビで見る
ウィーン少年合唱団から海外ドラマの学校シーンまで)
を象徴する音だと思います。
何とか発音は可能なのですが録音とのバランスが難しくて
他の単語の発音も相当頑張らないといけなくなるので・・・
結局思いっきり日本語発音の「ファララララ」(笑)
言語文化という意味でも考えることが多くありました。

詞も古英語由来の表現が多くありまず読めない(涙)
知らない単語をすべて調べて発音もチェックして・・・
意味をつかむと日本語訳(松崎功)は簡潔にまとめている
なあ・・・そして音数の違いがすごい(笑)と気づきます。
今回は1・3番を英語&あいだに日本語訳の1番を歌いました。
短くCover(1分16秒)したのでよければ聴いてみてください。

www.youtube.com「Deck the Halls(ひいらぎかざろう)」

Deck the halls with boughs of holly
Fa-la-la-la-la, la-la-la-la
'Tis the season to be jolly
Fa-la-la-la-la, la-la-la-la
Don we now our gay apparel
Fa-la-la, la-la-la, la-la-la
Troll the ancient Yule-tide carol
Fa-la-la-la-la, la-la-la-la

ひいらぎかざろう ファララララーラ ラララ
晴れ着に着かえて ファララララーラ ラララ
カロルを歌おう ファララ ラララ ラララ
楽しいこのとき ファララララーラ ラララ

Fast away the old year passes
Fa-la-la-la-la, la-la-la-la
Hail the new year, lads and lasses
Fa-la-la-la-la, la-la-la-la
Sing we joyous, all together
Fa-la-la, la-la-la, la-la-la
Heedless of the wind and weather
Fa-la-la-la-la, la-la-la-la

詞に責任を負う

こんばんはamrskJPN(あおむらさき)です。
今回は「詞に責任を負う」ということについて考えたいと思います。

作詞者と詞と声のあいだ
私は自分の声をVocalとしてツール化しているため「詞に責任を負う」
ということについて何となく思うところがあります。
プロでもアマチュアでも作詞者と詞と声のあいだにはそれぞれ
距離があり――どのくらい近いか/遠いか――それが個性となって
耳に届く(詞は目にも入る)ものだと感じます。
私自身が「作詞者=(近)詞=(遠)声」のシンガーソングライター型
であるためその形式における距離を考えたいと思います。
(「考える」といっても雑感をふらふら述べただけです)

LoveSongを歌える人はすごい
いきなり何やねん(笑)
MaleでもFemaleでも自作曲できちんとLoveSongが作れる人は
プロやなと思います。アマチュアであっても冷静にプロというか。
なおかつご自身でVocalを録音されている方がいちばん好きです。
その詞の内容が作詞者(ご本人)にとってどのような距離が
あったとしても「声」が責任を負う以上『徹底してStoryTeller
である』か『自分自身上等(どういう意味??)である』かの姿勢を
問われるからです。私は「上等だバカヤロー!!」という気概を
おだやかに漂わせるタイプのSSWに惹かれるのですが・・・

YouTubeで聴いていて心にぱっと色を放ったフレーズを引用させて
いただきたいのですが・・・それはご迷惑なのでぼんやりと。

ex.1 FemaleVocal(遠)詞=(近)声
詞の遠近は本来分からないものなのであくまで「印象」です。
たぶんStoryTellerなのかもしれませんがそれをうまく近く
ささやくように恋を歌っていらっしゃる。LoveStoryを詞として
作れる時点で竹内まりや的な。かろやかな美人曲。うらやましす!!

ex.2 MaleVocal(遠)詞=(中)声
もしかしたら詞は近いのかもしれない・・・!?なんて妄想
したくなるNewWaveSong。それ歌っちゃっていいの!?っていう。
端整な声で狂った詞世界をととのえて歌うバランスのよさがプロ。
Male×Sadisticな詞はわりとある(?)中Male×Masochisticは超レア。
素晴らしいです。そんなつもりはなくておそらく映像を言語化した
すごく遠いタイプの詞だとは思いますが・・・

ex.3 MaleVocal(遠)詞=(遠)声
風のような声で風のように愛を歌う。勝手な印象ですがとても
遠く感じます。でも「はっぴいえんど」的なスノッブさはない
(好きな人ごめんなさい!!)・・・詞は直球で「好き」と
歌っているのに遠く聴こえるのはそれこそが個性やなと思います。
「NOT"Snob"」ってとても重要だと思うので素敵です。

ぼんやりすぎて何を書いているのか分かりません。
どんな世界観および距離であれLoveSongを作ってご自身の声で
歌っていらっしゃるのはすごいと思うのです。

またLoveSongが作れなかった(まとめ)
私はFemaleVocal(近)詞=(遠)声ゆえ『徹底してStoryTeller
である』ことができません。また今までの曲を振り返って自分の
Vocalを聴いてみても「好きだよ」が想像つかないなあ・・・
そのくらい声に関しては遠く(どの曲の詞に対しても距離がある)
詞に関しては(自分自身に)近すぎる・・・

今思ったのが「声」が詞の(自分自身に対しての)距離を
決定する側面もあるよねってことです。マインド(こうあろうと
する精神)がいちばん影響することは変わらないのですが、
この微妙なもッさり声であるからこそStoryを歌えないっていう。
中毒性のあるCute★Girly★Voiceの持ち主なら虚構の世界をメイク
する方へ流れるだろうし。ZARDナチュラルVoiceならやはり
発声しているときにどう持っていくか気づいているだろうし。

好きな服(ファッションテイスト)と似合う服は違うというか。
好きな世界観と似合う(映える)世界観は異なる人もいる。
「声」が詞に責任を負う――詞だけではなくて大きく「世界観」に
影響を及ぼすよなあ・・・いくらいろいろ加工できるとはいえ
「自分の声」って(ある意味制限をもたらすとも言えますが)
面白いツールだなあと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございますm(__)m

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